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2007
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・2001年 第2夜
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あの、前にも少し書きましたが、 俺は、新垣里沙……ん?……新垣結衣? どっちだ?里沙は、モー娘? って、だれに確認しているんでしょうか? 結衣です結衣。 あ、こっちはあらがきなんだ。って、前にも書いたような気がします。 案の定書いてます。しかも、モー娘ネタまで。 おじいちゃんお口臭いボケボケですね。
で、俺は、新垣結衣に生まれたかったと。 そういう願望があるわけです。 あ、それ書いたのはmixiか。
あれなんですよ。 新垣結衣が好きなんですよ。 でも、幼いじゃないですか。いや、俺の年齢からしたら。 そこら辺の葛藤(?)もあって、 俺は、新垣結衣になりたいんです。 よくわからんです。
で。 新垣結衣なんですが、 やたらCM出てませんか? 中でもお気に入りは、三ツ矢サイダーのレモンに飛びつく奴。
レモンに飛びついた時の、レモンの表情が良いですよね。 あと、タンクトップと短パンデニムで、ご飯3倍くらいいけますよ!! で、あのCMよく見ると、 左足が、レモンのへたにかかっているところで、 レモンの表情が最高潮になっているんですよ。
で、あのレモンのへたを、金玉だと思うとですね、 10代のアイドルが、タンクトップに短パンデニムで抱きついてきた上に、 金玉を生足でいじってくれているわけですよ。
きっとそういうメタファーに違いありませんよ!!
俺もされたいですよ!!
こんな俺なんて死んじゃえば良いんですよ!!
(ま、でも、正味な話狙っていると思います)
こんなことを10年続けてきたYOLY's Room。 2001年もこんな感じでした。
2001年は、兎に角就職活動&受験戦争に没頭していた時期ですね。 就職活動が上手くいかない。 塾講師で、面接講座を開いているのに、 自分が面接で落ちていると言うね。
受験は大変でしたね。 自分で参考書作ったり、 生徒一人一人に各個人にあった課題や問題を出してまして、 それのチェックや次何を出すかと言う資料作成にものすごい時間をかけてまして。 ここまでやっているバイトは初めてだと言われました。
その甲斐もあって、 個人担当制度と言うのがありまして、 担当教科はもちろんのこと、他の教科も見てあげる生徒というのがいまして、 その生徒のうち3人が、絶対には入れないだろうといわれていた高校に受かりまして。 いや、でも、あれは俺と言うより、彼らのがんばりと、 一人推薦だったので、真面目に生きてきてよかったね。って感じなんですが。
その反面、2人ほど受験に失敗させてしまったのが、 今でもちょっと心残りだったり。 願書提出日前日に、そのランクの高校は無理だからと説得しなくてはいけない日だったんですが、 卒業研究の発表に行かなくてはいけない日で、 流石に出ないと留年になってしまうので、 社員の人に任せたんですね。 で、説得まであと一歩ってところだったのに、 社員の人が何か知らないですけどOK出してしまって。 絶対無理だって。と思ってたんですが、もう後の祭り。 案の定、落ちてしまいまして。 何か、その社員の人がヘラヘラしながら「OKだしちゃった」と言ってきたときには、 なんか、バイトながらちょっとむかつきましたね。
まあ、でも、教科担当だった生徒のうち、 理科が原因で落ちた生徒がいなかったのでちょっとうれしかったです。 理科が悪い奴はいて、脂汗モノでしたが、 運良く受かっていました。よかった。
就職活動は、全く上手くいかず。 1時面接が突破できない毎日。 丁度、特撮の「ヨギナクサレ」が発売され、 余儀なくされざるを得ないのか? と、悩み苦しむ毎日でした。
それまで特撮はライヴを避けてたんですが、 アジテーターが自分好みだったこともあり、 ライヴに参加。 丁度、唯一面接を突破できた会社の2次(最終)面接の2日前に 行ったのがAgitation Tour in LIQUID ROOMですね。 そこで、ノリノリになって、最終面接にも通りまして。 特撮最高!ってわけですな。
丁度その当時、友人のご尊父が他界されまして、 その友人を励まそうと。 でも、そういうのをやると言っても、遠慮されてしまうのは厭だったので、 俺就職決定or就職浪人?発表飲み会と称して、 まあ、その最終面接の会社を逃したら本当に後がない(11月でしたし)という状況で、 受かったらうれしいし、 落ちたら笑っておくれよドルバッキーと。 飲み会を計画。
何でかよくわからないのですが、 俺のことを滅茶苦茶嫌っているくせに何故かたまに連絡をくれる、 どちらかといえば、やや個性的な顔だちの女の子(お察しください)が、 呼んでもいないのに参加していまして、 まあ、それはどこかしらのルートから聞いてきたんだろうと推察できるわけですが、 最後に、見舞金として少しばかり出して欲しいという話を、 まあ、予めしていたんですけど、 した際に、「私は払いたくない」と。 「そもそも、飲み会が割りカンてどういうことだ」と。 「私は女だから安くしろ」 わがままでバカだと思っていたけど、其処までバカか。 って言うか呼んでねえし。
「お、女を殴りたいと思ったのは生まれて初めてだ。」 (c 夜神 月)
って感じで、まあ、よこせよこさねえで、揉めてたんですよ。 結局もらったかどうかは覚えていないんですが、 悶着あって外に出てみると、 何か、全然企画にもノータッチの人が、見舞金を渡していて、 「ありがとう」「うんうんわかるよ、がんばったな」みたいなことをやっていましてね。
あれ、それ俺の役目じゃまあ、いいですけど。
そんなこともありました。
就職活動いえば、 ゲーセンのバイト時代に、仲のよかった友人がいまして、 彼は無職だったんですよ。 フリーターって言った方が良いかな。 よく、「ちゃんとしろ」と言ってたんですね。
で、彼がこっそりみんなに内緒で専門学校に行き始めていて、 こっそり内緒でといいつつ、学校に行くところを駅で出会ったり、 世界堂という美術用品店に通っているということがバレバレだったり、 ほとんど皆知っていたんですが、 頑なに白状しないでいて。
で、こっそり、俺と同時期に就職活動もやっていたんですね。 しかも、ゲーム会社を。 そいつの家で、「ゲーム会社に行きたいけど上手くいかない」みたいな話をしたとき、 「ゲームを作るというのはね〜」と語りだしたんですよ。 なるほど良い事いうなと。 でも、ちょっとまて。 それ、昨日の会社説明会で言われたことと同じじゃネエか?
某会社ではプログラマとデザイナが同時に会社説明会&筆記テストで、 後でわかったんですが、その場所に僕はプログラマ、彼はデザイナとして居たんですね。 お互い全く気付いていなかったんですが。
で、その数日後かな。 俺はあっさり筆記テストで落ちてしまっていたんですが、 彼から電話がありまして。 「今日、厭なことがあって」と。 なんだ?面接にでも落ちたか?と。 あの会社の会社説明会にいたでしょ? と、カマをかけると、超動揺。
問い詰めると、その通りだと自白。 なんでも、今日の20時までに連絡がないと、不合格だといわれて、 今20時30分。もうだめだ。 そうか、でも、連絡は遅くなごめん母さんが呼んで……受かっちゃった
と、私と電話をしている最中に合格通知(本当)。 しかも、1次面接の結果の時も、 2次面接の結果の時も。
で、結局彼は某社にデザイナとして内定。 ちょっとショックでしたね。 同じ職種を目指していて、「ちゃんとしろよ」とか言ってた相手が、 先に、しかも、自分も行きたかったところに受かってしまったので。 いや、悔しいとか妬ましいではないんですけどね。 ショックで、ボーっとしながらテレビを見ていました。
2001年9月11日の話なんですけどね。
次の日にはそんなショックは吹っ飛びましたよ。 なんか、そういうところが、彼らしいなとちょっと思いました。
ちなみに、隠しコンテンツの一つであった、 彼をモチーフにした、N氏の隣人コーナーがあったのも2001年。 毎日何回したか(何をかは内緒)をただ書くだけの、 くだらないコーナー。 4月20日 お月様がきれいだったので4回した。 4月21日 今日は疲れていたので1回。 とか、そんな感じ。 彼が、就職のため東京を去ってしまったため、コーナー自体もなくなった。
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