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2003
/5
/15
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・偶像崇拝
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亦、信仰の話か。京極夏彦に気触れた何。此の書き方もどうせ京極の模倣なのだろうという、諸君。其れは確かに間違っては居無いが、今日取り上げたいのは信仰の話では無く、偶像の話である。 某巨大掲示板を観ると、偶像に対し、謂われ無き中傷を記している人が居て、例えば「某Hはやりマン」だの、そういった厠の落書きにも相応しい電文を残して居るのである。まあ、そういう事を言う人は高校時代の友人にも居たし(そもそも、何故彼はそんなことを知っているの何と謂えば、唯の妄想か、或いは粕取り雑誌の影響なのだろう。)、其れで良いと思うのだが、稀にこいつ本意気で信じて居るのでは在るまいかと思う者が居て(と謂っても、まあ、私にはどちらが本当なのか知らないし、知ろうとも思わないのだが。)、何だかなあという気分にさせられるのである。 そもそも、「某Hはやりマン」なる事は偶像崇拝者にとっては嬉しい事なのでは無い何と思うのだが。やはり、穢れた心象と云うのは好ましく無いのだろうか。 人に拠って偶像に求める物が違うと云う事なのだろうな。私などは俗物であるからして、偶像には性しか感じないので「やりマン」等の噂は、其れが真実だとしたら自分がそういった行為ができる好機が在るのかもと、喜ぶのだが、・・・今気づいたのだが、過剰に反応する人が居るのだからこそ、書き込む人間が居るのかもしれないな。 で、某鴛鴦夫婦の不仲説に対し、旦那側が「仲は良い」と謂っているというニウスがやっていたのだが、この夫妻、共に広告放送に出演しているのだから、間違っても不仲を認めるわけは無いではないかと思い、そうか、偶像というのも所詮仕事なのだということに気づいた。 嘗て、芸能人には人権は無いのか。有名税って何だよ。と思っていたのだが、善く考えると、其れも含めて多額のお金を貰っているのだから、清楚な心象を客が求めるなら其の通りに行動すべきなのではないかと。つまり、善く偶像だって人間なのだから恋したって良いじゃない(byビビる)と云う意見を目する事があるがそれは実は逆で、偶像は私生活も含めて偶像なのだから、そういったことはしてはいけないと。 其れは幾らなんでも言いすぎだろうというかもしれないが、女子プロレスラーの中には強さを求めるため、恋禁止という団体も在ると言う。それは玄人として正しく、強さを求める客が居て、恋が其れの障害になるというのだから其れを禁ずるという形はただしいのではないかと。 で、何が云いたいのかというと、やりマンと呼ばれるアイドルは、俺にもやらせろと。そういう事が言いたいのですね。
ところで、昨日更新したイカレシタ写真館(POISoN)。あの写真は加工一切無しです。今後も変な写真を撮ってあげていきたいなあと思っています。ただ、別段俺はプロじゃあないし、美しい写真を求める人は観ない方がいいでしょう。藝術気触れの写真なんて載せませんから。 何かすげえよ!!
・・・あ。否、凄い事が起こっている。 婿殿を観たのだが・・。生放送と言うことで観たのだが・・。すごすぎる・・・。これ・・・生の必要性はあったのだろうか・・。 大間かな流れとしては、 生1:キッチンでの日常風景 録画1:話しが進む 生2::娯楽番組に桜庭裕一郎が出演(全くストーリーが進まない) 録画2:話しが進む 生3:フジテレビの階段前、崇拝者に囲まれる。 録画3:終演
ストーリー いつもの食事風景。義妹の様子がおかしい。問い詰めてみると、桜庭裕一郎の妹選考会に受かったと言う。(生1) 其の事をマネージャーに報告すると、桜庭が結婚していることがばれる恐れがあるので、義妹を選考会に受からせるわけには行かないと言う。其れは可哀想だと謂う桜庭。然し、彼女は非道い音痴だったため、見事に選考会は落選する。(録画1) 選考会を終えた桜庭は娯楽番組に出演する。(生2) 其の頃、選考会に落ちた義妹は、音痴なのに何故選考会を受けたの何という家族の問いに、「音痴であるという劣等感を克服したかったから」と答える。 其れを聞いた彼女の父(つまり桜庭の義父)は、桜庭とマネージャーに「家族対抗歌合戦(正しい名前は忘れた)」に出してやって欲しいと頼む。社長が登場し、「スターである桜庭となら物々交換して出れるはずだ」と。渋るマネージャーを社長ともども説得し、結局出演する事に。然し、其の前に収録が在る為、収録に間に会うためには、フジテレビの入り口を走らなければならない。(録画2) フジテレビの階段前、崇拝者が大挙する中桜庭は走る。(生3) 収録が間に合わなくなるという其の刹那ギリギリ間に合う桜庭。音痴ながらも歌う義妹には笑顔が戻っていた・・・(録画3)
つっこみどころ。 ・生1:普通の家族の日常。生で在る必要性は感じられ無いが、そんな事を謂っては見も蓋も無いので、其れは考え無いとすると、特に問題は無い。
・録画1:録画の部分はしっかり作られているので、特に問題は無い。
・生2:娯楽番組に参加する桜庭だが、…此の場面は全く必要性が感じられない。唯の時間稼ぎのようにも見える。何と謂っても、娯楽番組の為、科白をとちっても(そもそも、台本はあったのか?)大丈夫というのは卑怯。
・録画2:スターである桜庭を走らせなければ成ら無いと謂うのが判ら無い。番組の収録を遅らせてもらえば良いだろう。そもそも、テレビ局の玄関から収録会場まで走ったところで、何分短縮できるというのだろう・・と思ったが、最後の生放送のためなのだろう。と、・・・。
・生3:走る、桜庭・・・って走って無い。偶然か必然か崇拝者が大挙し桜庭の行く手を阻む。結局ゆっくり歩くしかない桜庭…。
・録画3:いきなり場面は録画に切り替わり、間に合う・・っておい。あのペースじゃ絶対間に合わないよ・・・。結局生で「演技」をしたのは最初の場面だけだったと言う事か。せめて、走る所だけは本当に走らせて、間に合うか否かで話しが変化するという風にすれば良かったのではないかと思うのだが…。
もう一度生があるらしいが、絶対観ます。此れは・・。要チェックやで。(って此れって何の科白だったっけ?)
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