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2006
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・GW特別企画 私は如何にして会社を辞めたか 〜 黎明編
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全ての就職に迷っているモノに捧ぐ−−
2001年9月11日。
アメリカでは貿易センタービルが崩壊し、 世界はめまぐるしく動き始めていた。
同日、暗い目をして世を儚む一人の男が居た。 彼の名はYOLY−−この物語の主人公である。
2001年1月。 就職活動の開始。 彼はゲーム会社の企画職を志望していた。
ただ、彼は慢心していた。 大学が高名だった所為もあるだろう。 情報処理の資格を所有していたことや、 バイトでやっていた塾講師で、面接講座を開いていたことも、 その慢心の一端を担っていた−−のだろうな。
よくよく考えると、それらはプログラマには必要のある技術ではあったが、 企画職には全く関係ないのだが、 ま、何とかなるだろう。と、楽観視していた。
どれくらい楽観視していたかと言えば、 大手のE社の会社説明会を、塾の生徒が「明日補習をして欲しい」 と言う一言で、無断キャンセルしてしまったくらい、 楽観視していた。
まあ、何とかなるだろう。
生まれて初めての面接は散々だった。 今思えば、当時から現在に至るまで、 企画書を提出して、それが通過した会社はそこしかなかった。 企画職の募集には二つあって、 企画書を提出させる会社と、企画書を提出させない会社があるのです。 それは、新卒でも中途でも。
上に書いたように、当時、バイトで塾の講師をやっていて、 面接の仕方、挨拶から、目線、手の位置、話し方等々を、 生徒に教授していた身であったから、 余裕だろうと思ったが、甘かった。
さっぱり言葉が出てこない。
「この企画の面白いところは?」 企画書を見ながら面接官が問う。 なにも、上手く言えなかった。 「君が、誰にも負けないと思うところは?」 嗤いながら面接官が問う。 「誰にも……ですか?いや、誰にもってのは……さすがに……」
……われながら、間の抜けた返答である。
その後、面接官がぽつりとつぶやいた。 「嘘でもいいからさ……」
終わった。 と思った。果たして、終わっていたのだが。(2001/04/18)
その後、いろいろな会社にエントリーシートや企画書を送るも、 企画書が必要な会社からは事ごとく、 お断りのメールやら手紙をいただくこととなる。
そのころは、有名どころのみをねらっていたし、 ゲーム会社以外の企業や、 マイノリティな会社や、企画職以外には応募していなかった。
が、そうもいっていられなくなる。
ほとんどの会社が募集を締め切り、 ふはっ!! どないしよう。
もう一年留年すっかなーーー。(この時点で1留している)
なんてことを思っていると、 塾講師の先輩に、「とりあえず、プログラマでも応募してみるべき」 と、諭され、悩みつつも応募してみる。
プログラマでの応募は企画職に比べ、やはり資格を持っているからか、 通りやすかったように思える。 が、 やはり面接から先に進めない。 某11人が勝っているK社では、 「君の持っているこの情報処理技術者試験て凄いの? 僕らが知らないことを何か言ってみてよ」 と、はあ……ええ? あなた達がなに知っているかわからねえっすよおおお…… と、困惑し、なにも答えられなかった。 無論、落ちた。 ちなみにこの会社、「多分受かってると思うから」とか、 「次以降はこういう風にやるから」と、結構期待を持たせることを言うので、 気をつけた方が良い。 そこで喜んでしまうと、落ちたときのショックがでかいから。 中途採用募集の時もそうだったんだよなあ……
このころまでに受けた企業 E社:エントリーシート応募するモノの、説明会に行くのが面倒くさくなりバックれ。 S社:企画書が通るも、1次面接でアウト。 N社:エントリーシートは通るモノの、企画書が通らずアウト。 N社:資料請求するモノの、募集要項がよくわからず、応募断念。 H社:資料請求するモノの、遠かったので応募せず。 B社:エントリーシートを足で踏みつぶしてしまい、応募断念。 S社:2回企画書を送るも、企画書通らず。 H社:会社がやばいんで今年の新卒は見送りますメール。 K社:プログラマとして応募。1次面接まで進むが、そこでアウト。 A社:プログラマとして応募。1次面接まで進むが、そこでアウト。 M社:プログラマとして応募。数学と英語の試験に受かるも、 1次試験でゲーム部門に行きたいと言ったら、爆笑され、アウト。 F社:30分待たされたあげく、「好きなゲームは何ですか?」と「自己アピール」しか聞かれず。 しかも、面倒くさそうな態度で応じられる。なので、この会社は大嫌い。 A社:新卒募集のページがなかなか更新されず、やっと更新されたと思ったら業務内容がおかしい。 よく見たら、同名の別会社だった。そしてそのころ、その会社は募集を終えていた。 C社:プログラマと企画で応募。 ペーパーテストでアウト。企画は返事すら来ず。
ってなかんじかな? よく考えると、コレしか受けてない……って言うか、受けてないところもありますけど……んですね。 それだけ、高望みをしていた訳なんですが。 制作・販売をしていて、自分好みの会社。 なんて思ってましたからね。
某大作RPG制作のS社(当時)や、歴史ロマンのK社、電車とインベーダーのT社なんかは受けてないですからね。
で、最後のC社がくせ者だったわけです。 C社がなければ、僕はあそこで就職を断念していたかも知れません。
C社のペーパーテストは、 プログラマとデザイナが合同で行われまして。 ペーパーテストの前に簡単な会社説明会があったんですね。 で、何だったか忘れましたが、 「ゲーム会社を目指すための心構え」みたいなことを言われて。 アア、なるほどねえ。と感心したわけでぇす。
まあ、別に感心したからそこで就職を断念しなかったわけではなくて、 それから一週間後。 友人のNと言う男と話をしていまして。 最近就職活動がうまくいっていないというようなことを言うと、 「ゲーム業界を目指すための心構え」を言うわけです。 果て面妖なこともあるモノだと。 その内容が一字一句、先の会社説明会で言われたことと同じなのです。
問いつめると、彼も又、デザイナとしてその会社説明会を受けていたと。 そう言うことが解ったわけですね。 彼は、高校を出た後ふらふらしていて、 そろそろ働きなよとか、専門でも行ったら?とか、 周囲の人に心配されていたわけです。
が、この彼がこっそり専門学校に通っていて (いや、まあ、なんとなくは解っていたんですけど)、 偶然にも、同じ会社を受けていたわけです。
で、結果は、
僕は落ち、 彼は受かった訳です。
忘れもしない2001年9月11日。 彼から受かったという電話を貰い、 彼が喜ぶのを見て嬉しかった反面、 俺も何とかしなくてはなあアアアアアア!!
と、かなり凹んでいたのを覚えています。 凹みながら、ウソコイというドラマを見ていたら、 世界が大変なことになって、 ああ、もう、滅んじゃえばいいのにと 思ったとか思ってないとか。
9月にもなり、 募集要項もほとんど無くなっている。 もう、ゲーム会社に拘泥するのをやめようかな。 という、あきらめモードに入っていたわけですが、 彼が受かったと聞き、 あきらめてたまるかアアアアアアア!!!!
と、
毎日ヨギナクサレを聞きながら、 くそお、駄目なら留年してやると、 心に決め、就職活動再開。
……したら、上手く受かっちゃったのが前の会社。(ただしプログラマー)
うわ。長。 気づいたらこんなに長くなってしまいました。 体調も悪いので……つづく。
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