復活日記
written by YOLY
生まれ変わって、虫になって。

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 2006 /5 /1
・GW特別企画 私は如何にして会社を辞めたか 〜 黎明編
 全ての就職に迷っているモノに捧ぐ−−

 2001年9月11日。

 アメリカでは貿易センタービルが崩壊し、
 世界はめまぐるしく動き始めていた。

 同日、暗い目をして世を儚む一人の男が居た。
 彼の名はYOLY−−この物語の主人公である。

 2001年1月。
 就職活動の開始。
 彼はゲーム会社の企画職を志望していた。

 ただ、彼は慢心していた。
 大学が高名だった所為もあるだろう。
 情報処理の資格を所有していたことや、
 バイトでやっていた塾講師で、面接講座を開いていたことも、
 その慢心の一端を担っていた−−のだろうな。

 よくよく考えると、それらはプログラマには必要のある技術ではあったが、
 企画職には全く関係ないのだが、
 ま、何とかなるだろう。と、楽観視していた。

 どれくらい楽観視していたかと言えば、
 大手のE社の会社説明会を、塾の生徒が「明日補習をして欲しい」
 と言う一言で、無断キャンセルしてしまったくらい、
 楽観視していた。

 まあ、何とかなるだろう。

 生まれて初めての面接は散々だった。
 今思えば、当時から現在に至るまで、
 企画書を提出して、それが通過した会社はそこしかなかった。
 企画職の募集には二つあって、
 企画書を提出させる会社と、企画書を提出させない会社があるのです。
 それは、新卒でも中途でも。

 上に書いたように、当時、バイトで塾の講師をやっていて、
 面接の仕方、挨拶から、目線、手の位置、話し方等々を、
 生徒に教授していた身であったから、
 余裕だろうと思ったが、甘かった。

 さっぱり言葉が出てこない。

 「この企画の面白いところは?」
 企画書を見ながら面接官が問う。
 なにも、上手く言えなかった。
 「君が、誰にも負けないと思うところは?」
 嗤いながら面接官が問う。
 「誰にも……ですか?いや、誰にもってのは……さすがに……」

 ……われながら、間の抜けた返答である。

 その後、面接官がぽつりとつぶやいた。
 「嘘でもいいからさ……」

 終わった。
 と思った。果たして、終わっていたのだが。(2001/04/18)

 その後、いろいろな会社にエントリーシートや企画書を送るも、
 企画書が必要な会社からは事ごとく、
 お断りのメールやら手紙をいただくこととなる。

 そのころは、有名どころのみをねらっていたし、
 ゲーム会社以外の企業や、
 マイノリティな会社や、企画職以外には応募していなかった。

 が、そうもいっていられなくなる。

 ほとんどの会社が募集を締め切り、
 ふはっ!!
 どないしよう。

 もう一年留年すっかなーーー。(この時点で1留している)

 なんてことを思っていると、
 塾講師の先輩に、「とりあえず、プログラマでも応募してみるべき」
 と、諭され、悩みつつも応募してみる。

 プログラマでの応募は企画職に比べ、やはり資格を持っているからか、
 通りやすかったように思える。
 が、
 やはり面接から先に進めない。
 某11人が勝っているK社では、
 「君の持っているこの情報処理技術者試験て凄いの?
  僕らが知らないことを何か言ってみてよ」
 と、はあ……ええ?
 あなた達がなに知っているかわからねえっすよおおお……
 と、困惑し、なにも答えられなかった。
 無論、落ちた。
 ちなみにこの会社、「多分受かってると思うから」とか、
 「次以降はこういう風にやるから」と、結構期待を持たせることを言うので、
 気をつけた方が良い。
 そこで喜んでしまうと、落ちたときのショックがでかいから。
 中途採用募集の時もそうだったんだよなあ……

 このころまでに受けた企業
 E社:エントリーシート応募するモノの、説明会に行くのが面倒くさくなりバックれ。
 S社:企画書が通るも、1次面接でアウト。
 N社:エントリーシートは通るモノの、企画書が通らずアウト。
 N社:資料請求するモノの、募集要項がよくわからず、応募断念。
 H社:資料請求するモノの、遠かったので応募せず。
 B社:エントリーシートを足で踏みつぶしてしまい、応募断念。
 S社:2回企画書を送るも、企画書通らず。
 H社:会社がやばいんで今年の新卒は見送りますメール。
 K社:プログラマとして応募。1次面接まで進むが、そこでアウト。
 A社:プログラマとして応募。1次面接まで進むが、そこでアウト。
 M社:プログラマとして応募。数学と英語の試験に受かるも、
    1次試験でゲーム部門に行きたいと言ったら、爆笑され、アウト。
 F社:30分待たされたあげく、「好きなゲームは何ですか?」と「自己アピール」しか聞かれず。
    しかも、面倒くさそうな態度で応じられる。なので、この会社は大嫌い。
 A社:新卒募集のページがなかなか更新されず、やっと更新されたと思ったら業務内容がおかしい。
    よく見たら、同名の別会社だった。そしてそのころ、その会社は募集を終えていた。
 C社:プログラマと企画で応募。
    ペーパーテストでアウト。企画は返事すら来ず。

 ってなかんじかな?
 よく考えると、コレしか受けてない……って言うか、受けてないところもありますけど……んですね。
 それだけ、高望みをしていた訳なんですが。
 制作・販売をしていて、自分好みの会社。
 なんて思ってましたからね。

 某大作RPG制作のS社(当時)や、歴史ロマンのK社、電車とインベーダーのT社なんかは受けてないですからね。

 で、最後のC社がくせ者だったわけです。
 C社がなければ、僕はあそこで就職を断念していたかも知れません。

 C社のペーパーテストは、
 プログラマとデザイナが合同で行われまして。
 ペーパーテストの前に簡単な会社説明会があったんですね。
 で、何だったか忘れましたが、
 「ゲーム会社を目指すための心構え」みたいなことを言われて。
 アア、なるほどねえ。と感心したわけでぇす。

 まあ、別に感心したからそこで就職を断念しなかったわけではなくて、
 それから一週間後。
 友人のNと言う男と話をしていまして。
 最近就職活動がうまくいっていないというようなことを言うと、
 「ゲーム業界を目指すための心構え」を言うわけです。
 果て面妖なこともあるモノだと。
 その内容が一字一句、先の会社説明会で言われたことと同じなのです。

 問いつめると、彼も又、デザイナとしてその会社説明会を受けていたと。
 そう言うことが解ったわけですね。
 彼は、高校を出た後ふらふらしていて、
 そろそろ働きなよとか、専門でも行ったら?とか、
 周囲の人に心配されていたわけです。

 が、この彼がこっそり専門学校に通っていて
 (いや、まあ、なんとなくは解っていたんですけど)、
 偶然にも、同じ会社を受けていたわけです。

 で、結果は、

 僕は落ち、
 彼は受かった訳です。

 忘れもしない2001年9月11日。
 彼から受かったという電話を貰い、
 彼が喜ぶのを見て嬉しかった反面、
 俺も何とかしなくてはなあアアアアアア!!

 と、かなり凹んでいたのを覚えています。
 凹みながら、ウソコイというドラマを見ていたら、
 世界が大変なことになって、
 ああ、もう、滅んじゃえばいいのにと
 思ったとか思ってないとか。

 9月にもなり、
 募集要項もほとんど無くなっている。
 もう、ゲーム会社に拘泥するのをやめようかな。
 という、あきらめモードに入っていたわけですが、
 彼が受かったと聞き、
 あきらめてたまるかアアアアアアア!!!!

 と、

 毎日ヨギナクサレを聞きながら、
 くそお、駄目なら留年してやると、
 心に決め、就職活動再開。

 ……したら、上手く受かっちゃったのが前の会社。(ただしプログラマー)

 うわ。長。
 気づいたらこんなに長くなってしまいました。
 体調も悪いので……つづく。


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