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2006
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・GW特別企画 私は如何にして会社を辞めたか 〜 輪廻編
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昨日の日記って全くゲーム関係ないよね。
というわけで、少しはゲームの話をしていきたいなと思う輪廻編。 輪廻といっても、元(ん?元じゃないのか?)カントリー娘。の りんねじゃないですよ!!!(やっぱり元らしい)
2003年1月19日
曾祖母が他界した。
93歳だった。
92歳まで一緒に暮らし、 92歳の冬、彼女は庭で骨折。 数ヶ月の入院生活の後、歩けなくなった彼女は体力を失い、 93歳の夏、施設に入った方が良いという勧めから施設に入院。 93の冬、体調を悪くし、入院。 そして、この日、彼女は亡くなった。
口癖は、「YOLYくんの○○まで生きてられるかねえ」だった。 ○○は時により変わり、 大学だったり、社会人だったりしたものだ。 そう言われるたびに、言われるモノになっていたので、 まさか、死んでしまうとは思っても見なかった。
最期の頃、彼女は「結婚」を口にしていたが、 それを見せることは叶わなかった。
彼女が施設に入った頃から仕事は劇的に忙しくなり、 家族は彼女の見舞いに行っていたのだが、僕は結局1回しか行けなかった。
なんとなく、死と自分を切り分けて考えていたのだ。 多くの人がそうであるように、身近に死があるなんて考えても居なかった。
そんなだから−−
2003年1月1日
病院に居る曾祖母をお見舞いに行こうという母だったが、 数ヶ月ぶりに徹夜をしなくて良い休みが貰えたため、 一日中寝て過ごす。
2003年1月15日
久しぶりに休みを貰えたので(1月2日以降)、 見舞いに行こうという家族を無視し、 相当過去に告白したことがある女の子と (この日記、昨日今日で、過去に告白したことがある女の子 4人中3人が登場しているんだなあ……) 何か連絡が取れることになり、 デートに興じる。
このときに見舞いに行っていれば……なあ。
2003年1月18日
仕事が一段落して、ここから、3週間のお休みを貰う 親が、曾祖母が危篤状態だというので、 やっと見舞いに行くことに。 それまでは、入院はしているモノの、 普通に元気そうだったからと油断していた。 病院にいる曾祖母は意識が無く、苦しそうだった。
それでも、きっと良くなると思っていた。
2003年1月19日
早朝、何もないのに目が覚めた。 何だろうと思い、二度寝して、目が覚めると、 その時間に曾祖母が他界したと言うことが解った。 嘘っぽい話だし、 霊だとか、虫の知らせなんて奴は信じないけれど、 コレは本当の話。
実は未だに信じられていない部分があって、 ひょっこりそこに居るんじゃないかと思っている。
居ないんだけどさ。
最期に何をしゃべったか未だに思い出せない。 そのことが、心残りだったりするが、 後悔や遺恨は死んだ人の魂を呼び戻し、成仏できないという。 執着を捨てよと仏教は言っている。
何より、 入社試験に書いたではないか。
己の人生に後悔したくないと。
だから、後悔はしていない。 その方が、彼女も喜ぶと思うから。 (生者の勝手な理屈かも知れないけどね)
そして、次の日。 我が家の長男として僕は、葬式に……
……出なかった。
2003年1月20日
葬式の日。 僕は黒いスーツに身を固めてはいたモノの、 葬式には参列しなかった。
よく思い出して欲しい。 この日記は、私は如何にして会社を辞めたかである。 私は如何にして曾祖母の死を乗り越えたかではないのだ。 読んでいる人だって、 他人様の曾祖母が死んじゃったからって、 それを後悔している、いない、なんて話をしたところで、 ふーん、だからどうした?早くゲームの話をしろよ。 ってな感じでしょう?
そう、
その日は転職活動をしていました。
もちろん生者の勝手な理屈として、 葬式に参列するより、 俺が幸福になった方がばあちゃんも喜ぶはずだ。 という理屈があったからですよ。
ちなみにここは当時、第一志望だった会社。 仕事に疲れた徹夜の朝、 もう辞めてやる。辞めてやるうう。と、 プログラマーでエントリーしたら、何かエントリー通っちゃって。
で、この日面接だったわけです。 仕事もこのころには一段落するって、 (しないと発売日に間に合わなくなるので、させないとまずいって) 解っていたので、この日にしてたんですが、まさか、ばあちゃん死んじゃうとは。
ちなみに、 少しゲーム会社の話をしますと、 よく勘違いしている人がいて、 最近はCD媒体だから、CD(DVD)を焼くのに1週間しかからないから、 1週間前までゲームを作っている。 っていうふうに思っている人がいます。 これ、鈴木みその「大人のしくみ」に書いてあるんですけど、 全くのでたらめです。
某有名ハード2の場合。 まず、マスター盤をハードメーカに提出します。 すると、ハードメーカがそのマスター盤を検品します。 この検品する人員を、小さい会社だと、後回しにされたりします。 ちなみに、2003年の1月というと、 某有名RPGのおっぱいエディション事、某X-2が発売前だったため、 このX-2の検品に相当数人員を割くから、 その前に提出しないと、相当後回しになると言われてました。
検品は大体1〜2週間。 その中で、大きいバグが出てしまうと、 再提出&再検品となります。 何回そのゲームが提出したかっていうのを知る方法もあるんですが…… ……これ書いて良いのかな? まあ、いっか。
某有名ハード2のゲームをPCのDVDドライブに入れます。 で、中を見てみるとsystem.cnfと言うファイルがあって、 そこに、バージョンが書かれています。 VER=1.**と。 **に、+1した数字が(初回は1.0なので)、提出回数となるわけです。
まあ、見て貰えば解ると思いますが、 1.00で販売されるゲームなんて超まれで、 普通は2〜3回は提出するので、 それで、2〜3週間。 あとは、流通の問題もあるのですが、 それを書いてしまうと、うちの会社が特定できるおそれもあるので、 あまり詳しくかけませんが、 うちの会社の場合、 流通に乗せるためには1ヶ月前に、検品が通っている必要がありました。 なので、最低1ヶ月半前には完成していないと、 発売日に間に合わないこととなります。
で、
転職活動。
ばあちゃんの死を無駄にしないためにも (別にそのために死んだわけではないが)、
俺は克つ!!!
……
……
……
……はい落ちました!!!
でも、あっさり面接まで行ったことで (それも第一希望の会社に、就職活動の時は面接に行けなかったのに ……まあ、就職活動は企画職、転職活動はプログラマとしてだけど)、 俺はいつでも辞められる。 そう言う気がしてきて、 あと2年耐えて、退職金が貰えるようになるまでがんばるかなと。 (その方が採用される確率も高いだろうし)
2003年4月
給料がメチャンコ上がって、 まあ、評価されているのなら。と、辞めるのを留意する。
2003年7月
仲の良かった同期の女の子が会社を退職。
2003年9月〜1月
続編のゲーム制作。 またも2Dだったものの(その上分量は増えていたものの)、 もう一度制作している経験から、 要領よく仕事をこなせるようになる。 結果、3日くらいしか会社に泊らなくて済むようになる。 土日はなかったですけど。
後輩も下について彼を上手く使ったってのもあると思いますが。
まあ、この後輩ってのが食わせ物だったりするんですが。 このあたりは明日書きましょう。
2003年12月
仲の良かった同期の男が、会社を辞める。 コレにより、同期の内、仲の良い人が全員居なくなる。 基本的に彼と前述の彼女と昼飯を食べに行っていたのだが、 ここから先、毎日机でカップ麺を食べる生活が始まる。
2004年4月
給料が昨年ほど上がらない。 やっている仕事は同じと言うより、要領が良くなったから、 むしろ増えているはずなのだが、 どうやらこの会社では、 要領よく時間内に仕事を行うより、 だらだらと徹夜しまくる方が評価されると言うことを知り、 やる気を少し失う。
2004年6月
新プロジェクト発足。 僕の2Dはもう嫌だという懇願が上に通り、 物理計算エンジンと、敵のAIの作成を担当する。
そして、このプロジェクトが、僕が会社を辞めようと思った、 引き金となっていくのである……。
次回、−−転生編。 あらゆる事が、真綿で首を絞めるように僕の首を絞め始める。 そして、……
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