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2006
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・GW特別企画 私は如何にして会社を辞めたか 〜 転生編
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2005年8月
僕は、ハワイにいた。 友人の結婚式に参列するためだ。 結婚式が終わった後、僕は海に入った。 ぷかぷかと海に浮かんでいるとにわか雨が降ってきた。 雨に打たれながらゆらゆらと浮かぶ僕。 まるで母親の胎内にいるようだった。 眠気が僕を包み込んだ。
目覚めると、雨は上がって、 降り注ぐ太陽の日差し。 なんて青い空なんだろう。 誰も皆、幸せに見える。
あー、僕は決めた。
俺は会社を辞めるぞジョジョーーーッ!!
と言う決心をした。 これも一つの引金である。 小さな引金がやがて大きな決心を生んだ。
ただ、この日はまだ、次の就職先が決まるまでは 辞める気はなかった。 ーーまだ。
話は、2004年の暮れへと−−
2004年暮れ
プロジェクトは、非順調に進んでいた。 解りやすく言えば、順調に進んでいなかった。
理由はいろいろあったが、 目に見えて解るのは、 みんなが、間に合わせる気がなかったからだ。と思う。
ここまでにこれだけ仕上げようという予定は、 その期日が過ぎてから延期が発表された。 その期日まで間に合わせようとする人間は、 僕だけだった。
ああ、この会社は、もう辞めよう。 何度も思ったその台詞を、 このプロジェクトが終わって、 次のプロジェクトが終わったら辞めようと、 具体的に心に刻み込んだ。
なぜ、次のプロジェクトだったか。 それは、アメリカで行われるE3というゲームのイベントに、 会社のお金で私が連れて行って貰えるかも知れないという話だったから。
まあ、アメリカにまで連れて行って貰えるなら、 (それも次のプロジェクトのために) そのプロジェクトは終わらせようと思っていた。
まだ、2004年の暮れ。 締め切りは3月だった。 まさかゴールデンウィーク明けのE3までには、 仕事は暇になっているだろうと。
さて、ここで問題。 昨年のゴールデンウィーク。 4月29日(金)から、5月8日(日)まで5月2日・5月6日を除いて、 8日間の休みが、世間一般に展開されていました。 前述の2日間を有給にして休むと、 10連休にもなる、大型連休。 僕は何日休んだでしょうか。 答えは82行後。
2005年4月
まだ仕事は終わっていなかった。
理由は、やはり、誰も終わらせる気がなかったから。だと思う。 砂上の楼閣のようなプロジェクトだった。
そんな折、給与面談があった。 ここまで5ヶ月、ほとんど休みなしに働いてきた僕への評価は、
給与アップなし
だった。 理由は、
1:A.Iの作成が芳しくないから。 2:後輩に冷たく当たっているから。
僕は異議を申し立てた。なぜなら、
1:A.Iの作成が芳しくないから
確かに、A.Iの制作は芳しくなかった。 が、それには理由がある。 1、企画書に書かれている企画が訳解らなかった。 こんなの誰でも書けるだろうというようなことしか書かれていなかった。 たとえば、この敵は強い。この敵は弱い。 と言った風にである。 そんなもんどうやって実装すればいいのか。 2、僕がそのおもしろさが解らなかった 僕が普段やらないジャンルのゲームの制作だったため、 どうやったら、面白い敵になるのか解らなかった。 なので、ディレクターにどうやったらよいかという話を毎日聞いた。 毎日テストプレイをして貰い、何処を直すべきか聞いた。 問題は、そのディレクターがその作業を途中から面倒くさくなったことと、 ディレクターとプロデューサの求めている最終形が違っていた事。 3、ほかの仕事が多すぎ ただ、A.Iの研究だけさせてくれるなら兎に角、 物理挙動計算、3Dの表示、カメラの設定、エフェクトの作成等々。 相当量の仕事をやらされた。
2:後輩に冷たく当たっているから。
確かに、その後輩には冷たく当たっていた。 何回か、彼は僕と違うプロジェクトに配属して欲しいと、 上司に訴えていた。 ただ、僕だけではなく、その面接をした先輩も冷たく当たっていたはずである。 その先輩の所為で、彼は逃げ出したこともある。
と言っても、別に嫌いだから嫌がらせをしてやろうと言うのではない。 何度言っても僕の真意が伝わらないから、叱っているのだ。 彼は、韓国人だった。 それが関係あるのかはよくわからないが、 彼の仕事は精度が低かった。 たとえば、1ドットずれている絵があって、 僕にはそれがわかるのだが 彼にはそれがわからないのだ。 まあ、解らないなら解らないでそれで良い。 問題は、解った後も、そんなことどうだって良いじゃないですか。 と、それを放っておくことにある。 又、僕は1年目の経験から、予定表を書かせたのだが、 その書き方も適当だった。 たとえば、Aの後にB,Bの後にCと言う順番でやらなきゃいけない仕事があるとする。 平気で、B→C→Aと言う順番になっていたりする。 それを指摘し、もう少し考えて予定を作成しろと言うと、 BとAを交換しただけで(A→C→B)、作り直しました。と言われる。 これだと、このBがCの後に来るのはおかしいだろうと、 全体を見直せと行って居るんだよ。というと、じゃあ、YOLYさんが作ってください。 ……はぁ? おまえの仕事だろうが!! と、怒ることが多くなる。 一事が万事で、怒っていたら、上司に相談され、怒るの禁止令が出された。 それからは放っておいたら、 あっさり予定に間に合わず、 結局彼の尻ぬぐいをやらされることになった。 (まあ、それは、自分もやって貰ったことだから別にいいんだけど)
とまあ、僕の目線から書いているので僕を正当化しすぎているかも知れないが、 A.Iの出来が悪かったのは確かだし、その後輩が上司に相談したのも事実だし。 それにしたって、5ヶ月もほとんど休まずに働いているのだ。 ※ちなみに、11/27から、5月20日まで、7日くらいしか休んでない。 それも、年末年始とインフルエンザで倒れたとき、あと、何か1日だけである。 というわけで、答えは、1日も休んでない。である。簡単だったかな? 給料上げろと言ったら、あっさり上がった。
給料が上がらないと言うことにもむかついたが、 その程度の覚悟というか、対応で給料を上げないと言っていたことにもむかついた。
2005年5月
果たして、E3には行くことはなかった。 又、ディレクターがOKを出したA.Iにプロデューサから待ったがかかった。 ディレクター的には、簡単でいろいろな特徴のあるA.Iが プロデューサ的には、簡単に負けないような手応えのあるA.Iが。 先輩にこんなんじゃ話にならないと叱られる。 凹む
2005年6月
何とか仕事終了。 くたくたになりながら、 あれ、そういや俺、E3行ってないや。 あ、もう、退職金も貰えるんだ。
……辞めちゃおっかなあ。
気づいたら、リクナビに登録していた。 ただ、このころはまだ本気ではなかった。 その証拠に、条件欄に年収800万以上と入力していた。
と言いつつ、一社面接を受ける。(あっさり不合格だった)
2005年7月
上司でもあり、この人の下で働けるなら。 と思っていた、プロデューサが、会社を辞める。 えええええええええ……。
いろいろなことが起こりすぎて、混乱。 このころ、俺、発情期かなと思い始める。
2005年8月
新ハードの開発が本格的になり始め、 会社の仕事が、面白そうになってくる。
やっぱり続けよう。
と思うが、面白そうな仕事からハズされ、 過去制作したタイトルの海外版の制作責任者となり、 新人を使用してチェックする仕事という、 だるい上に面白くない、しかも新ハードにさわれない仕事を任される。
……
ハワイでやっぱり会社やめようかなあ。 と思う。
2005年9月
ハワイから帰ってきたら、 プログラマの先輩と、ディレクターが会社を辞めていた。
あー。もうやってらんねーなと思う。
2005年10月
某社を受ける。(落ちた)
このころはまだ、どこかに内定決まったら辞めちゃおっかな。 くらいの思いだった。
会社の先輩と飲みに行った際、 この会社は、なんだかんだ言っても、 住み心地は良いし、がんばったら給料も上がる。がんばれ。と言われる。 心を見透かされているようだった。 がんばろうと思う。
……
……その一週間後、その先輩が会社を退職した……
……もう、辞めようかな……と本気で思う。
同期の男が会社を辞める。
2005年11月
先輩がボロボロ辞める。 聞いた話だと、元プロデューサの人が、引き抜いていっているという話だ。 僕の一個上の代までは、ほとんどの人に声がかかっているようだ。 声がかからないって事は…… ……あまり、好かれてなかったのかなと思う。
塾講師時代の友人と、(あと、ついでに生徒と)飲む。 彼は、転職して、良い生活を手に入れているという。 転職も良いかなと思い始める。
前述の後輩が会社を辞め、韓国に帰る。 君の嫌いな俺も もうすぐ辞めるのに。と、そっと思う。
同期が、10月に辞めた彼のためにお別れ会を開く。 俺だけ呼ばれていないことを知り、凹む。 まあ、同期には例の彼女が居るわけで、 仕方ないかとも思うが、かなり凹む。 生きることがつらいと思い出すようになる。
その後、その飲み会はその子が幹事だったと知り、 まあ、仕方ないかなと、少しリカバリ。
フットサルの合宿にて、 酔った勢いで、合宿に参加してた女の子に、 「辞めたいと思うがどうしたらいいと思う?」と相談。 「若い内じゃなければ冒険できない。 やりたいことがあるなら、それを目指すべき」と言われ、 それもそうだなあと妙に納得。 辞めたいが、辞めように少し変わる。
2005年12月
会社のボーナスが0.5ヶ月分な上、 12月10日予定なのが、 1ヶ月遅れると発表。
何かが、切れる。
その日の夕食時、両親に、 会社を辞めたいと思うがどうか。 と、相談してみる。 次の就職先も決まっていないし、 止められるかと思ったが、 おまえの好きなようにすればいいと言うようなことを言われ、決意。
2005年12月12日
退職願を提出。
……が、受理されず。 今やっている海外版の仕事を終わらせてから、辞めろと言われる。 もう、やる気なんて全くなかったけど、 それは仕方ないなと思い、何とか会社に行く。
朝がつらく、胃も痛い。 周囲の人をだましているような、 みんなどれくらい知っているのだろうという、 恐怖におびえながら、 未来の仕事を振られたりしながら……
2005年12月20日
来月まで延期になっていたボーナスが振り込まれる。 が、0.25ヶ月分。 どういう事かと聞いたら、 1.ボーナスには将来の期待も含まれている。 2.本来辞める人には払わない予定だったし、早く払って居るんだから感謝しろ。 と言う旨のことを言われる。
全額でも0.5ヶ月分ですよ。 たった、数万ですよ。 早く払って云々と言うが、元々の日付からは遅れているわけです。
しかも、僕は辞めたいと思い、そして、言い、 でも、今の仕事をがんばってくれと言われているから、 今までの恩もあるし、この仕事だけは終わらせようと思っていた。 ……金の問題ではなかった。 正直、数万貰うより(数万だし)、辞めたかった。 しかし、会社は、それすらをも払いたくないという。
そんなんじゃやっていけない。 思いを吐露した。
翌日、なら辞めて良いよ。 というあっさりした返答で、僕は会社を辞めた。 僕の仕事には数万の価値もないと判断されたわけだ。
お世話になった人に軽く挨拶をし、 ほとんどの人が驚いていることに少し驚きながら、 (もう少し噂になっているだろうと思っていた) 僕は会社を後にした。
有給が残っていたので、 会社の退職の日付は1月10日にして貰った。
そして、僕は会社を辞めた。
次回、やっと最終回。 立志編ーー転職活動の全てをここに記す。
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