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2006
/5
/12
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・マザー
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そういえば、ファミ通にマザー3について、 糸井重里と伊集院光の対談が掲載されていた。
伊集院シンパの私ですが、 マザー3に関しては共感できないんだよなあ。
いや、今9時間くらいやって、少し面白さがわかってきましたが、 伊集院が手放しで褒めている1章は、 個人的にいただけないんだよなあ。
まあ、少しネタバレの要素も含みますが、 いまさら1章のことなんで、もう、知ってる(知りたい)人は知ってるし、 知らない人は知らないってことで書いちゃいますが、
1章で、とある主要人物が死ぬんですね。 これが、泣けると。 なんか、マザー3の記事を見ていると、皆そう書いているんですが、
本当に?
そんなに単純なの?
って思っちゃいます。
確かに見せ方はうまいんですけど、 人が死ぬ(あるいは、死んだと見せかけて生きている)=感動 なのって何か駄目なんですよね。 いや、そこに至る過程にも寄るんですが、 たとえば、火垂るの墓では、節子の死ぬシーンに泣きました。
でも、それって、そこまで節子が一生懸命生きてきて、 兄貴もどうしようもなくて、でも、苦しんで、 苦しいけど精一杯楽しく生きて、 それで死んじゃうから、感動できるんじゃあないのかなあと。
いきなり登場して、 あっさり死んじゃいました……ってどうなんだろう? ってね。 なけねええええええよおおおおおおって。
たとえて言えば、やっぱり、10年来の友人が死んだら悲しいと思うんですよ。 でも、合コンで一回あっただけの子が死んだって言われても、 ショックは受けるかもしれませんが、ああ、まあ、ご愁傷様くらいでしょ? いや、それで泣けるって人も居るでしょうけど。
そこまで積み重ねてきたものが、死んで、無くなってしまうから、 悲しかったり、感動したりするんじゃないのかあ? って思ってしまうのですが。
だから、1章なんて序盤で死んでも、 泣けないんだけどなあ。
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