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2006
/6
/30
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・ゲームの話(物を創るということ)
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ゲームに限ったことじゃないですが。
大槻ケンヂ氏が週刊少年チャンピオンのインタビューで、 小説家は孤独だから、たまにライヴをやりたくなる。 という旨の文章が載っていた。
ううむ。 そうだ。 たしかにそうだ。 遍く表現者のなかで、 演劇家と音楽家以外の創作者は、 基本的に、お客の前に顔を出さない。
たまに、講演をやったりする漫画家や、 朗読会を開く小説家なども居るが、 それは稀有な例で、大半の物を創る人って言うのは、 お客の顔が見えない。
もちろん、ゲームを作る身として、 発売日にゲームショップに行って、 自分のゲームを手にとってくれた人の顔を見ることはある。 でも、そういうことではなく、 そのゲームをどのようにどれくらい楽しんでいるか。 っていうのは、さっぱり分からんわけです。
ネット。 という文化が発展してから、今日に至るまで。 そこで僕らはユーザーの声の一部を聞ける。 あのゲームは糞だったよね。 いや、俺は好きだ。 1のほうがよくね? みたいな声だ。
あえて見ないようにしている人も居るが、 僕は見ている。 ただ、厭くまで参考意見としてだけど。
で、たまにコレに流されちゃう人って言うのが居て。 掲示板に書かれていることって言うのは、 良くも悪くも偏った意見だと思うわけですよ。
たとえば、2ちゃんねるに書いている人は、 ゲームによって違うだろうけど、 数人〜数百人で、 さらに言えば、ネットが大好きなひとが多いだろうと。
で、やっぱり、「ものすごく面白かった人」か、 「ものすごくつまらない人」が 書き込むわけですよ。ほとんどの場合。
だから、偏るのは仕方ないんですけど、 それを本気にして、その、ネット人にこびようとする人も現れるわけです。 もちろん、それが良いってこともありますし、 それは違うってこともあるのですよ。
例えば。 Aというゲームと、Bというゲームがありまして。 Aも、Bも、全く同じ操作のプログラムで。 でも、ある日、誰かが、Bの方が操作感良くネエ?と言い出すと、 そういえば!という人が現れ、 最終的に、Aの操作感は糞ということになってる。 そういう事象も見ました。 人間の感覚ってあてにならネエなあとその時は思ったもんです。
で、そのネットに迎合している人って言うのが、 身分の低い人だったら、会議を開いて、それは正しい、それは違う。 と、話し合うことも出来るんですが、 前の会社の場合、それはワンマン社長で。
●●つくってー。 いやあ、それは無理ですよ。(棒読み) でも、2ちゃんに書いてあるよ。 いやあ、それは無理ですよ。(棒読み) でも、2ちゃんに書いてあるよ。
while( 1 ) { printf( "いやあ、それは無理ですよ。(棒読み)\n"); printf( "でも、2ちゃんに書いてあるよ。\n"); }
2ちゃん見る暇あったら仕事しろ。 っていいたくなります。 言われてから、2ちゃんみたら、言われたのが書き込まれたのの1分後だった時には、 この人本当に何も考えて無いのかな? ってか、仕事しろ。と思いました。
物を創るには、確かに顧客のことを考える必要はあると思います。 でも、顧客って言うのは何万人も居るわけですから。 一部の顧客に迎合してしまうのは(もちろん、狙っている対象がそこならありだとは思いますよ) 良くないんじゃないかなあと。
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